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見学会・内覧会
2023
09.17
おそと時間の楽しみ方10

大河ドラマ「どうする家康」は34回になり、信長没後に織田家の実権を握ろうと勢力を伸ばしている秀吉に対する家康は、打倒秀吉と意志を固めてきました。今後の展開が楽しみですね。

さて今回は、秀吉との激戦小牧長久手の戦いの舞台となった、小牧山へ行ってきました。小牧山城は永禄6年(1563年)に信長が築城し、清須から居城を移しました。小牧山南の大手口は直線的に山の中腹まで登り、右に折れて屈折しながら山頂の主郭に至ります。現在も小牧市役所の小牧山課が発掘調査を行なっていて、主郭の周囲には2〜3段の石垣が巡っているようです。

小牧山城は、山の形状と石垣を利用した特徴のある山城で、続日本100名城にも選出されています。

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現在の小牧山には、小牧山歴史館があり信長が築造した当時から家康によって大規模改修された様子がわかりました。

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れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)もあり、小牧山の歴史や文化などがわかりました。大手口の所に小牧市役所がありました。市役所がある小牧山の南側は、信長が居城としていた時に城下町として栄えていたようです。

 

小牧山城に移った信長は、犬山方面を支配下に置き尾張を統一するとともに、積極的に美濃攻略を行いました。4年後の永禄10年には美濃の稲葉山城を攻略し、岐阜と名を改め居城を移しました。これにより、小牧山城は廃城となり衰えました。小牧山城が廃城となってから17年後の天正12年(1584年)豊臣秀吉軍と織田信雄・徳川家康連合軍による小牧・長久手の合戦が起こりました。信雄と家康の軍勢は、信長の居城に大規模な改修を行い、堅固な陣城を築きました。山麓を取り巻く二重の土塁や堀、虎口などは、この時に築かれたものです。

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秀吉は本能寺の変の後、直ちに山崎の戦いで明智光秀を討ち、織田家の跡目相続を決める清須会議で信長の二男信雄・三男信孝を後継と認めず、信長の孫の三法師を後継とした。そして信孝と結んで対抗する柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、信孝を知多郡野間で自害をさせ、信長の実質的後継者として地位を固めた。秀吉の勢力拡大に信雄も警戒心を抱き、秀吉と戦う為に家康に援助を求めた。天正15年(1584年)家康は盟邦織田氏を助けるという大義名分で、15千の兵を率い、清須城へ入り、信雄軍と合流する。同年3月、秀吉軍の池田恒興は犬山城を奇襲し占拠、森長可は羽黒の八幡林で家康勢と戦って敗れた。秀吉は大阪で長可が敗れたことを聞き、直ちに3万の兵を率い大垣から犬山へ着いて戦況を聞き、小牧山の北東から包囲するよう各武将を布陣させた。そして自ら楽田に本陣を構えた。一方、信雄・家康連合軍は、小牧山に本陣を構え、小牧山から東へ連砦を築き、秀吉軍に対した。この後は大きな争いはなく4月に入って、秀吉軍は、家康の本拠地岡崎を奇襲する作戦が始まったのである。家康・信雄連合軍を上回る恒興、長可、元助、堀秀政、秀吉の甥・羽柴(のち豊臣)秀次ら秀吉軍別動隊2万が、46日の夜半、楽田の陣地を後にしたのです。しかし、家康が放っていた忍びは、この巨大な一軍を見逃しませんでした。8日早朝、家康はまず先発隊4500を、秀吉別働隊の進路途中にある小幡城に入れ、自身は信雄を語らって小牧山本陣を空同然にし、密かに出撃。小幡に入城して、待ち伏せの態勢を取りました。やがてそこに、秀吉軍別働隊が進軍してきます。翌49日早朝、秀吉軍別働隊は急追してきた家康軍先発隊に、背後から攻撃を受けました。前方を進軍していた恒興、長可の部隊が取って返して、徳川軍先発隊をいったんは撃退しますが、家康が率いる本隊に攻め立てられ、挟み撃ちされる形で総崩れとなり、恒興―元助父子、長可は討死、辛くも立て直した堀秀政は、秀次の軍を庇いつつ戦線を離脱するのがやっとのありさまでした。秀吉が、別働隊壊滅の報を聞いたのは、その日の昼頃です。急遽、家康・信雄連合軍を捕捉・殲滅すべく全軍を投入。自ら2万の兵を率いて出撃しますが、日暮れになったので、小幡の城攻めは明朝と決め、やむなく龍泉寺川原に夜陣を張りました。家康は夕刻、小幡城に入り、ここで敵の動向を見極め、攻め寄せてくればこの城で防戦しようと考えていましたが、間諜より秀吉軍が総力を挙げて進軍中と伝えられ、この城では防ぎきれないと判断して、夜半になって急ぎ小牧山に帰陣しました。この後両軍のにらみ会いが続いたが、大きな合戦をすることなく51日秀吉軍の主力は小牧地区から退き、また家康軍も7月中旬には兵を引いた。この年の11月、桑名で秀吉と信雄が和議を結び、次いで信雄の勧めで家康も秀吉と和解し、8ヶ月にわたる小牧・長久手の合戦は幕を閉じました。

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秀吉は圧倒的な戦力がありながら、総攻撃を行わなかったのはどんな考えがあったのか、また家康は、小牧・長久手の戦いには勝利したが、天下統一という政治的・外交的な枠組みの中では、明らかに秀吉に及ばなかったことを理解した戦ではなかったのかと思いました。

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