近頃はテレビなどの報道で、インバウンド需要により観光地が活性化されているのをよく耳にしますが、コロナ禍前の訪日外国人者数にはまだまだ回復できていないようです。
そこで今回は、実際に観光地で有名な大阪・京都へ行ってみました。
まずは大阪で有名な大阪城へ行きましたが、平日にも関わらず外国人観光客が8割くらいの大人気ぶりで入場に長い行列ができていました。案内する係員は多言語を話すプロフェッショナルな人も活躍していましたね。
大阪城は、1496年に浄土真宗の蓮如上人が今の大阪城の場所に1つの坊舎を営んだことから始まり、これが石山本願寺という大寺院に成長しましたが、1580年に天下統一をめざす織田信長に屈し寺院や寺内町は炎上しました。織田信長没後の政治の主導権を握った豊臣秀吉が1583年に石山本願寺跡に築城を開始し天下人の居城に相応しい大城郭を築き上げた。秀吉没後、政権は徳川家に移り1615年の大阪夏の陣に落城しました。その後、徳川幕府により再築されましたが、天守を落雷により失ったが、幕府の西日本支配の拠点として大きな役割を果たしました。その後、1931年に市民の熱意により天守閣が復興され1997年には国の登録有形文化財となりました。
大阪城内は写真撮影不可な所がほとんどでしたが、秀吉直筆の書状や黄金の茶室や夏の陣のミニチュア模型が印象に残りました。また、観光経路の階段ホールが上り下りと観光順路に無駄のない仕様になっていたのも良かったですね。
大阪城の周辺は大阪城ホールなどの施設や公共施設も公共交通機関もあり、意外にも駐車場が多かったですね。
大阪城隣接のJO-TERACE OSAKA good spoonで食事をしましたが、なかなかのボリュームでした。これで4人分
京都では、京都定期観光バスで京都三大名所巡りへ参加しました。
京都駅〜金閣寺〜銀閣寺〜清水寺〜京都駅という修学旅行のようなコースでしたが、「わびさび」を感じることが出来ました。
バスの旅も終わり、二条城へ
二条城は1603年(慶長8年)徳川家康が天皇の住む京都御所の守護と上洛の際の宿泊所とするために築城したものです。1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿の大広間で「大政奉還」の意思を表明したことが日本歴史上にも有名なことです。
二の丸御殿内の障壁画は素晴らしく、また等身大の人形が臨場感を表現したものでした。二条城といえば廊下を歩くと鳥の鳴き声のような音が鳴ることから「鶯張り」と呼ばれていますが、あいにく訪れた時は雨で湿気が多かったのか、程よく感じる程度でした。
二条城近くの「チロル」という昔ながらの洋食屋さんで食事をしました。
入店には行列ができていて30分ほど待ちましたが、ボリュームたっぷりの玉子サンドとカレーライスをいただきました。
今回の旅は、終日まで雨でしたが国宝から世界遺産まで十分に堪能することができました。
また、観光地はインバウンド需要の対策をしっかりして景気が上向くように努力をしているのも感じられ、観光と産業をバランスよく取り入れることで、さらに景気が上向くのではないかと思いました。