秋も深まり、小原の四季桜や香嵐渓の紅葉散策も賑わいがあるようですね。さて、来年の大河ドラマ「どうする家康」では、その世界観を楽しむ為に家康公生誕の地である岡崎が舞台になっています。今回は、たまに通りで見かける記念碑に「二十七曲り」と書かれているのが気になっていたので、岡崎を感じようと思い散策することにしました。
二十七曲りの由来
徳川家康公が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年10月には、豊臣側の田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備にとりかかりました。慶長6年(1601)に藩主となった本多家が城下町整備を引き継ぎ、矢作川に初めて橋をかけ、菅生川の南にあった東海道を城下へ引き入れました。変更が重ねられた東海道は、慶長14年(1609)以降、10年をかけてまちの防衛と街道筋の伸長のために曲がりくねり、伝馬町、籠田町、連尺町、本町、材木町、下肴町、田町、板屋町、八帖町を経て矢作川を越える「東海道岡崎城下二十七曲り」と呼ばれる街道となりました。徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。
矢作橋のたもとにある記念碑から出発
出合之像 小六正勝(後の蜂須賀小六)と日吉丸(後の豊臣秀吉)
矢作橋の上で寝ていた日吉丸に小六正勝が頭をけった所から出合いがあったようです。
八丁味噌のカクキューさんの裏手にお寺がありました。
八丁味噌のまるやさん、花火屋さん、そしてカクキューさんがあります。
二十七曲りの碑の上にワラジを型取ったオブジェがありました。
古い銭湯がありましたが、現在は休業中でした。
常夜燈が残っていました。
ここで、い・ろ・は・に・ほ・へ・との逆から進んでいるのに気づきました。
東海オンエアーのオフィシャルのサインがありました。
篭田公園の近くで、遅めのモーニングをしました。
ここまで、2時間くらい歩いていました。
伝馬町まで来たら、石像が道路の両脇に何体もありました。
老舗の永田屋精肉店さん、備前屋本店さんと続きます。
備前屋さんには二十七曲りせんべいというものがあります。
(二十七曲りせんべいは、本当に27曲がっているせんべいです)
常夜燈の由緒がありました。
東の入口に着きました。
ここまで、4時間ほど
まちの防衛の為に変更を重ねて作られた道は、現在では着物屋や小売問屋が残っていますが、まちの繁栄に大きな影響があったと思われる跡がいくつか見られました。人が集まるまちづくりとは、現在のまちづくりと同じ所があると感じ、そんな仕事ができるようになりたいと思った散策になりました。