挙母城(桜城)跡 発掘説明会
こんにちは。本日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。10月も終わりに近づき、昼夜の寒暖差が大きくなり体調を崩しがちですが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか?生まれも育ちも豊田市という方はご存じかと思いますが、1959年(昭和34年)豊田市と改名される前は挙母市でした。市名の変遷は挙母藩、挙母村、挙母町、挙母市、豊田市という順番ですが、昔から挙母と呼ばれる地域でした。そしてその挙母にも古の時代にはお城がありました。 挙母城と呼ばれるお城は時代の流れと城主の変遷により場所を変え、金谷城、桜城(正式には佐久良の様です)、七州城と移り替わりました。すべて挙母城(挙母にあるお城)と呼ばれたようですが、今回はその中の桜城についてです。
今年の春頃から、弊社の隣地ではマンション建設に向け既設建物及び平地駐車場の解体工事が行われていました。更地になった土地に大型の重機が入り、部分的に掘削作業が行われていました。マンションの基礎工事が始まったのかと思っていましたが、これが桜城址の発掘調査でした。そして先日(10/22(日))、挙母城跡(桜城跡)の発掘調査現地説明会が豊田市文化財課の主催にて行われました。
フェンス一枚隔てただけの隣の敷地ですので、毎日その発掘調査の様子を見る事が出来ましたが、説明会ではお堀の形状や今発掘されている部分が桜城址のどの部分かなどを知る事が出来ました。社会が苦手で、歴史に関して学校で学んだ程度の知識しかない自分ですが、地元のお城、ましてや自分の会社の隣地と言う事もあり少し興味を持つことが出来ました。
説明会でいただいた資料によりますと、現在の豊田信用金庫本店や元城駐車場などの地中にも石垣やお堀が眠っているようです。普段何気なく使っている建物や道路の下に遺跡が残っていると考えるだけで、感慨深いです。来年の秋には豊田市美術館の横に博物館がオープンする予定です。その常設展示室には豊田市の歴史などが、所蔵資料の他、ジオラマや映像で紹介されるそうです。これを機に豊田市の歴史について少し調べてみたいと思いました。
豊田市で生まれ豊田市で育ちましたが、まだまだ知らない町の魅力がたくさんある事に気づきました。これからも自分の街を知る事の出来るイベントや説明会に積極的に参加しようと思いました。
本日も最後までブログを読んでいただきありがとうございました。