確か8月7日だと思います。「幼稚園児が小学生の女の子(9)を助けて鎌倉署長から感謝状が渡された。」とのニュースを目にしました。その内容は排水溝に迷い込んだ女児、救ったのは5歳の少年「中から声がするよ」「トンネルの中から『キャー』という響く声がするよ」。神奈川県鎌倉市の腰越海岸にカニを捕りに来ていた幼稚園児の角(かど)謙蔵ちゃん(5)は、漁港の岸壁にあるトンネルのような排水溝から漏れた小学生の女児(9)の泣き声を聞き逃さなかった。排水溝に向かって「おーい。大丈夫?」。小さな体で大きな声を張り上げた。
謙蔵ちゃんは7月29日、両親と近所の海へ。カニを捕った後、砂浜で体を温めていると、数メートル先の排水溝から泣き声がして、母親の加奈子さん(36)に知らせた。父親の浩太さん(38)が体をかがめて幅1・5メートルの排水溝に入ったが、足元に藻があって動きにくく、しかも暗くて先が見えない。砂浜で家族と魚を見ていた会社員の安斉慶さん(37)=さいたま市西区=が異変に気付いて110番通報した。
安斉さんらは漁港内のマンホールの上から、声のする方に向かって「もうすぐ救急隊が来るよ」と励まし続けた。女児は誤って排水溝に入り込み、約80メートル先にいた。救助された時には泣きやみ、けがはなかった。女児は家族とはぐれ、家族が警察に捜索の相談をしていたという
県警鎌倉署は8月6日、謙蔵ちゃんと安斉さんに感謝状を手渡した。森文男署長は「5歳児の言葉をみなが真剣に受け止め救助につながった」。謙蔵ちゃんにはパトカーの缶のお菓子も贈られ、加奈子さんから「人の命を助けるのはすごいこと」とほめられた。
謙蔵ちゃんは感謝状を手に「(女児が助かったと聞いて)感動しちゃいました」と話した。将来の夢は「江ノ電の運転士さん」だという。 というものでした。 私は最後の “ 謙蔵ちゃんの将来の夢は「江ノ電の運転士さん」” を知って、ある話を思い出しました。それは、高橋源一郎さんがNHKラジオの “すっぴん!” で取り上げられた「江ノ電の奇跡」という話です。その放送を聞いて、私は目頭を熱したのを覚えています。その話は、
江ノ電の奇跡
神奈川県の江ノ島電鉄線、通称・江ノ電。1998年9月、江ノ電の総務課長だった楢井進さんの元に、病気の子を支援する団体から手紙が届きました。
「江ノ電の運転手になりたいという子の願いを叶えていただけないでしょうか」
16歳の鉄道少年、新田朋宏(ともひろ)君との出会いです。4歳の時に拡張型心筋症で母を亡くした朋宏君は、母と同じ病気で入院していました。心の支えは鉄道。1歳の時、母に電車の玩具をもらって鉄道が好きになった朋宏君は、江ノ電の運転手になる未来を描いています。でも、「もう時間がない」というのが主治医の判断でした。
手紙が届いた日から、樽井さんは実現に向けて動き出します。鉄道法に違反せずどこまでできるか。点滴付きの車椅子をどう運転台にのせるか。シュミレーションが続きます。決行予定日はむ11月5日。しかし、前日に朋宏君の心臓が一時止まり、中止。暖かい春にやろうと再提案しましたが、主治医の返事は「もたない」でした。
6日後の11月11日。朋宏君を乗せた救急車が藤沢駅に到着します。
「お医者さんが不思議がっていました。元気なんです。ずっと笑顔で、目がすごく輝いていて。嬉しいっていう気持ちが、まっすぐ伝わってきました」
運転士の制服に着替えた朋宏君を乗せ、江ノ電は出発。万一に備え、いつもは無人の駅にも駅員が立ち、運転席の朋宏君にエールを送ります。江ノ電開業依頼108年の歴史で、全駅に駅員が配置されたのはこの時だけ。朋宏君は、検車区間で実際の運転も体験した後、制服姿のまま救急車に乗り、病院へ戻りました。後ろを振り返り、手を振る朋宏君が抱えていたのは、社員たちが贈った翌年のカレンダーです。
4日後。朋宏君は息を引き取りました。
樽井さんは後、取締役総務部長となり、新入社員がはいるたび、朋宏君のことを話します。こんなに江ノ電を愛してくれた子がいるんだ。私たちは襟を正して仕事をしよう。
江ノ電本社。出社した社員が必ず通る壁には一枚の絵が飾られています。16歳で生涯を終えた鉄道少年、新田朋宏君が描いた、江ノ電を運転する男の子の絵です。
この話は、文化放送 「大竹まことゴールデンラジオ!」のコーナー「大竹発見伝~ザ・ゴールデンヒストリー」から厳選したエピソードを一冊にまとめた、
「手のひらにおさまる77のちょっとした幸せ」 ポプラ社
という本です。
” 涙なしでは読めない、ほんとうにあった話 ” と帯に書かれていました。 「こんなにあったかい人達がいるんだ。世の中、まだまだ捨てたもんじゃないよね!」という話があと76も載っています。
謙蔵ちゃんは、いい「江ノ電の運転士さん」になって下さい。