日本時間12/2(金)早朝、FIFAワールドカップ カタール大会 グループリーグ(E組)、サッカー日本代表は強豪スペインを2-1で下し、W杯2大会連続(4度目)の決勝トーナメント進出を果たしました。自力でグループリーグ突破を決めるにはFIFAランキング7位のスペインに勝利を納めるしかない日本は、前半にスペインに先制されましたが、後半に堂安律選手の同点弾、田中碧選手の勝ち越しゴールでドイツ戦に続く逆転勝利を飾りGiant Killing(ジャイアントキリング)を成し遂げました。
日本は今大会、11/23(水)のグループリーグ初戦、これまで1度も勝ったことのないドイツに逆転勝利を納め、日本中で決勝リーグ進出を確信していました。しかし、11/27(日)のグループリーグ第2戦ではコスタリカに敗れ、格上相手のスペイン戦に勝たなければ自力では決勝リーグに進めない崖っぷち状態に追い込まれていました。そしてグループリーグ最終戦を迎え、戦績2勝1敗で勝ち点6。過去7度のW杯で最難関と言われたグループEを、下馬評を覆す首位で突破することができました。
これで日本は日本時間12/6(火)早朝、史上初のベスト8進出を懸けて前回準優勝のクロアチアと対戦します。
Giant Killing(ジャイアントキリング)と言われると言う事は、逆に言えば日本が勝つと思っている人は少ないことの裏返しです。日本国民であれば誰も負けて欲しいとは思っていないと思いますが、良くて引き分け、負けても仕方ないと思っていた方が多いと思います。そんな中多くの人が早起きをして(もしくは徹夜で…)日本を応援していたと思います。
ラグビーワールドカップでもオリンピックでも代表選だけを応援する人を「にわかファン」と揶揄する人もいますが、私は「にわかファン」で良いと思います。頑張っている人を応援する気持ち。そんな気持ちが代表選手に力を与えているのではないでしょうか。
次戦であるクロアチア戦も「にわかファン」の一人として日本を応援したいと思います。お時間の許される方は是非、同じ時間をテレビの前で共有し日本代表を応援しましょう。
本日もブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
中東で初となるサッカーワールドカップカタール大会2022がいよいよ始まりました。
わが日本代表は1998年のフランス大会から7大会連続の出場を果たしましたが、それまでは長い道のりで、本戦初出場がかかった1993年の予選最終戦では今回の開催地カタールのドーハで対イラク戦の後半アディショナルタイムに痛恨の失点により1994年のアメリカ大会への出場を逃し「ドーハの悲劇」と呼ばれることとなりました。その悲劇の地での大会、日本代表はベスト8を目標に掲げ、サポーターも雪辱を期し応援に力が入っています。
グループステージが始まり、前回優勝のフランスやイングランド、オランダは順当に勝ち点を挙げていますが、強豪アルゼンチンがサウジアラビアにまさかの逆転負けを喫する波瀾の幕開けとなりました。
日本代表のグループEはドイツ、スペイン、コスタリカと強豪揃いで「死の組」と呼ばれていますが、11月23日に初戦のドイツ戦が行われました。
序盤から怒涛のドイツの攻撃を防いでいたのですが、32分にPKで失点。その後も危ないシーンがありましたがなんとか前半を0対1で終えました。後半はドイツの猛攻をゴールキーパーの権田選手の驚異的な守備からペースを掴み積極的な攻撃を仕掛け、ついに75分に堂安選手の同点ゴール!さらに83分浅野選手の神がかった逆転ゴール!アディショナルタイムの7分間ドイツの全員攻撃を凌ぎきり2対1で歴史的な勝利。勝ち点3を得て、新聞の縦読みの通り「ドーハを歓喜の場に」することができました。
このあと27日のコスタリカ戦、12月2日のスペイン戦と厳しい戦いが続きますが、結果を恐れずに頑張って欲しいです。
もちろん日本代表の戦いが一番ですが、他にも注目したいチームがあります。セルビアという国をご存知ですか?豊田市にお住まいの方なら、名古屋グランパスで選手、監督として活躍したストイコビッチさんがすぐに思い浮かぶことでしょう。セルビアはそのストイコビッチさんが監督として今大会の欧州予選を無敗で突破したのですが、その中に唯一の日本人がいます。喜熨斗 勝史(きのし かつひと)さんという方で、ストイコビッチさんがグランパスの監督時代から一緒にキャリアを積み、今大会ではアシスタントコーチとしてセルビア代表を支えています。プロサッカー選手ではなかった喜熨斗さんが、あのクリスティアーノ・ロナウドのポルトガルを苦しめワールドカップ出場を果たしたチームのコーチということで、初めて知った時は感動しました。グループGで優勝候補のブラジルとの初戦、前半はよく耐えたのですが、後半にリシャルリソン選手に2点(すごいシュート!)奪われて残念ながら敗戦してしまいました。それでも次のカメルーン戦、スイス戦では監督とともにセルビアの勝利に貢献していただきたいです。
また、日本サポーターの現地での振る舞いにも毎回注目です。彼らはいつも試合後に身の回りのゴミを片付け綺麗に掃除をしていて、今やワールドカップの日本サポーターは、現地はもちろん世界中のニュースに取り上げられる存在となっています。もともと初出場となったフランス大会で試合後テレビ中継も終わった後の自発的な行為で、全力を尽くした選手や相手チームへのリスペクト、無事に開催できたことへの感謝の気持ちの表れだったと思いますが、同じ日本人として誇らしくもあります。
コロナやウクライナの戦争、テロなど暗いニュースの中、互いのチーム、サポーターやホスト国に対する感謝や尊敬と思いやりのワールドカップとなって欲しいと思います。
今年も残すところ1ヶ月半となりました。何かと忙しい12月を迎える前に、疲れた心を癒してくれるスポットをご紹介させていただきます。
全国にその名を知られる紅葉の名所「香嵐渓」です。
香嵐渓のもみじは今から400年前、香積寺11世の三栄和尚が経を唱えながら植えたのが始まりで、長い間「香積寺のもみじ」と呼ばれていました。昭和5年(1930)大阪毎日新聞の本山彦一社長より、香積寺の「香」、巴川をわたる爽涼とした嵐気の「嵐」から「香嵐渓」と名付けられました。
2021年秋のテーマは「神宿る」。円錐形の美しい形の山は神様の天下る神聖な山として信仰の対象とされ、山頂の巨石群では古代より祀りごとが行われていました。神様が現在の八幡宮の方角に向けて足を休められたことから「足助」という地名が付いたとの説もあります。また、足助氏が本城を置いた飯盛山は足助にとって歴史、文化の象徴であり愛知県の史跡に指定されています。
今年のテーマは「心の癒し~香嵐渓」。
長期にわたる先の見えないコロナとの戦いで、わたしたちは皆、窮屈な思いをしています。香嵐渓の美しい紅葉を見ることで疲れた心が癒されることを願い、もみじまつりを実施します。
コロナ禍、飯盛山山頂に祠も置かれ、香嵐渓広場には願掛けろうそくの収益金で庭園も造ることが出来ました。
先人から受け継いだ美しい香嵐渓を多くの皆様に安心して楽しんでいただけるよう、昨年に引き続き新型コロナウィルス対策を行い実施します。(豊田市足助観光協会HPより)
今年のポスターと紅葉みどころマップです。
キャッチフレーズは「癒しの 香嵐渓 心に栄養あげましょう」。
香嵐渓周辺には、おいしい食べ物もたくさんあります。
ご存知の方も多いとは思いますが、土日祝日は大変混雑しますし、道中は大渋滞します。
駐車場情報、迂回路案内マップ等を参考にして下さい。
第67回香嵐渓もみじまつりは11月30日(水)までとなります。
感染防止対策をきちんと順守し、美しい紅葉を見ることで、ポスターのキャッチフレーズ通り
「癒しの香嵐渓」で「心に栄養あげましょう」。
◆香嵐渓もみじまつりの詳細はこちらからご確認下さい。
秋も深まり、小原の四季桜や香嵐渓の紅葉散策も賑わいがあるようですね。さて、来年の大河ドラマ「どうする家康」では、その世界観を楽しむ為に家康公生誕の地である岡崎が舞台になっています。今回は、たまに通りで見かける記念碑に「二十七曲り」と書かれているのが気になっていたので、岡崎を感じようと思い散策することにしました。
二十七曲りの由来
徳川家康公が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年10月には、豊臣側の田中吉政が岡崎城に入城して城下の整備にとりかかりました。慶長6年(1601)に藩主となった本多家が城下町整備を引き継ぎ、矢作川に初めて橋をかけ、菅生川の南にあった東海道を城下へ引き入れました。変更が重ねられた東海道は、慶長14年(1609)以降、10年をかけてまちの防衛と街道筋の伸長のために曲がりくねり、伝馬町、籠田町、連尺町、本町、材木町、下肴町、田町、板屋町、八帖町を経て矢作川を越える「東海道岡崎城下二十七曲り」と呼ばれる街道となりました。徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました。
矢作橋のたもとにある記念碑から出発
出合之像 小六正勝(後の蜂須賀小六)と日吉丸(後の豊臣秀吉)
矢作橋の上で寝ていた日吉丸に小六正勝が頭をけった所から出合いがあったようです。
八丁味噌のカクキューさんの裏手にお寺がありました。
八丁味噌のまるやさん、花火屋さん、そしてカクキューさんがあります。
二十七曲りの碑の上にワラジを型取ったオブジェがありました。
古い銭湯がありましたが、現在は休業中でした。
常夜燈が残っていました。
ここで、い・ろ・は・に・ほ・へ・との逆から進んでいるのに気づきました。
東海オンエアーのオフィシャルのサインがありました。
篭田公園の近くで、遅めのモーニングをしました。
ここまで、2時間くらい歩いていました。
伝馬町まで来たら、石像が道路の両脇に何体もありました。
老舗の永田屋精肉店さん、備前屋本店さんと続きます。
備前屋さんには二十七曲りせんべいというものがあります。
(二十七曲りせんべいは、本当に27曲がっているせんべいです)
常夜燈の由緒がありました。
東の入口に着きました。
ここまで、4時間ほど
まちの防衛の為に変更を重ねて作られた道は、現在では着物屋や小売問屋が残っていますが、まちの繁栄に大きな影響があったと思われる跡がいくつか見られました。人が集まるまちづくりとは、現在のまちづくりと同じ所があると感じ、そんな仕事ができるようになりたいと思った散策になりました。